2017年02月18日

健忘録 抗がん剤編B

7月一杯はこんな感じで、吐き気、散歩、吐き気、散歩と繰り返していました
でも少しずつですが、体が楽な日が多くなってきたのです

理由は、血液検査にひっかかって、毎週は抗がん剤を打てない日が出てきた事です

メモを見ると


7月29
血液検査にひっかかり今回もお休み

8月2日
吐き気は気にならなくなってきた


吐き気の原因は、明らかに抗がん剤でした

抗がん剤を打つペースを二週に一度などに変えられないかと聞いてみたのですが、この方が効くから……との事
でも白血球が減ってしまって、どちらにしろ二週に一度くらいにしか打てなくなってきているのです

その頃から、はっきりとお腹がおかしくなっていました
なんだかお腹がぽっこりと出ているのです
先生に下腹がふくらんでいると伝えましたが、便秘でしょうとの事

それまであまり便秘に縁が無かったので、とても苦しかったです
それになんだか、手術の痕がぴりぴりします

抗がん剤対自分のチキンレースをしているみたいだ

そう思っていました

この辺りで、父がセカンドオピニオンをしたらどうかと言う様になりました
そもそも、定期検診をしていたのにいきなり癌になって、しかもステージW
入院する前から病院に不信感を持っていたのです

更に、私が自律神経の発作で退出した手術前のお話で、先生は
「抗がん剤で癌を小さくたら、手術をする。その時は今ある癌も、今後再発、転移の可能性がある臓器も出来るだけ取る。大腸も取って、ストーマを入れる」と言っていたそうなんです

私は直接話を聞いていなかったので<その可能性がある>なのか<絶対にそうする>なのかがわかりませんが、話を聞いた父はそこまでしないといけないのかと思ったそうです

8月16日
再びPETCTの検査を行ないました
結果が出たのは8月19日

肺、肝臓の癌は殆ど消えたとの事
ただし、首や胸のリンパ、骨の癌は大きくなっているという事でした

その時自分が何を考えていたのか、メモに何も書いていないのでわかりません


9月に入って、腰痛に痛み止めが必要になってきました
それから、お腹がぱんぱんに張っているのが全くひきません

病院ともう一つ、8月29日から免疫療法の病院にかかりました
そちらの先生に現状を説明すると、曰く「このままだと良くない。絶対に病院を変えた方がいい」

悩みました

今までお世話になっている病院ですし、手術も検査もそこでしてもらっています
看護師さん達とも仲良くなっていますし、何より家から近かったのです

ですが先生が「いい先生を知っているから紹介状を書いてあげる」と言ってくださった事もあって、とりあえずお話をしに新しい病院へ行く事になりました


9月7日
この日はお話をして、次の予約を取るのみになりました

お話の内容は、私の想像しているものとは違いました
紹介状を貰って行ったのですが、先生的にはあまり自分の病院で受ける事をお薦めしない感じだったのです

今の病院の方が家から近いので、何かあった時の対処がしやすい
今すぐ入る訳ではないけれど、実家近くで緩和ケアやホスピスを探しておいた方がいいのではないか

またもまたも、ごっつーんと衝撃です

先生は、私が治らないと思っているようです
末期の癌だという認識はあります
でも自覚はありません!!
私は治る気で生きています

そんな事を言われるとは思いもせず、なんだか驚いて思考が止まりました

今から思えば、先生は私がこちらの病院で診察を受けるか悩んでいるのに気付いていたのかもしれません
前の病院ではこうでこうでと説明したのが付き添いの父であったし、私がもにょもにょとはっきりしない事を言ってしまったのかもしれません

とにかく、もう一度どうするかを考えてみてほしい
そう言われて、次の予約は9月28日になり、その日は帰りました

それから数日間悶々としていて、それでもやっぱり我慢出来なくて
夜、私の部屋に「やあ、元気かい?」と遊びにきてくれた姉にたまっていたもやもやを全部吐き出しました

夜中の12時に近かったです
「今時間ある? 明日仕事? 聞いてほしい事があるねんけど」
「大丈夫やで。何?」

ありがたかったです
私は先生の話でどんだけ不安になってしまったかをわーーーーー!!! っと吐き出しました
ぼろぼろ泣きました
姉は全部聞いてくれて、そんな事にはならない、絶対に大丈夫と完全否定してくれました

全て吐き出して、吐き出したものをすっぱり切ってもらうとすっきりして、嘘みたいにもやもやも不安も消えました

病院を移す準備も進んでいます
28日、次の診察の時は病院を移して貰うようお願いしようという事になりました

以下、自分メモから

9月12日
今日は腰が痛い日

9月14日
痛み止めを新しく変えてみる

9月16日
下腹の張りが大きい 28日まで後12日

9月18日
お芝居を観に行く やっぱり出たかった

9月19日
お腹が張って、ご飯が食べにくい

9月20日
朝まで眠れた!
ご飯、時間かけて何とか食べる がんばった


9月21日

腰痛があまりに酷いので、28日まで待てず新しい病院へ行く事になりました
私があまりにへろへろだったので、父と母がつきそってくれました
飛び込みだったので待ち時間は長くなるとの事でしたが、診察はして貰えました

ここで、これからどうするかの話をもう一度しました
先生は私に、貴女はどうしたいの? と聞きました

私は、今どちらに診て貰うかで抗がん剤がストップして治療が止まっている
体の調子が明らかにおかしい
早く治療がしたい

と言いました

先生は「わかった。じゃあやりましょう」と言いました

トントンと次の入院が決まりました
その病院では初めての抗がん剤です
抗がん剤の前に、この病院でも検査をするという事になりました

そして、強い痛み止めのお薬を貰いました
何と言うか…麻薬の成分が入った痛み止めらしいのですが(勿論人体に影響はありません)副作用で吐き気があるそうです
吐きけ止めとセットで飲む薬ですが、吐き気も一週間も飲んでいれば慣れてくるという話でした

お薬の袋に<麻>の真っ赤な判子が押してある、主張の激しいお薬でした

帰りに和食のお店に寄って、私はおうどんを食べました
何にしろ色々先が決まって良かった
そんな話をしつつ、私は食後に貰った痛み止めと吐きけ止めを飲みました

ですがこの日から、またも吐き気との戦いが始まります

9月21日
21時に薬を飲み0時に突然吐き気
横になる ガマン

9月22日
痛み止めの吐き気で一日動けない

9月23日
21日同様ほとんど動けず 入院の用意は何とか

9月24日
グロッキーな状態で入院

9月25日
吐き気は相変わらず

9月26日
CT 後吐いた

9月27日
骨のCD(書き間違えています) 後吐いた

9月28日
頭のMRI やっぱり吐いた


その後も吐いたや吐かんやが一週間どころか腰痛がマシになる10月半ばまで続きます
一週間くらいで慣れる筈だったのですが、全く慣れませんでした!!!
どうもお薬との相性が強烈に悪かったようです

抗がん剤ですが、最初の病院では「パクリタキセル」と「カルボプラチン」のみだったのですが、「アバスチン」も投与する事になりました

先生はどうして「アバスチン」を使わなかったのかな〜と首を傾げていましたが、アバスチンには血をさらさらにしてしまう成分が入っているらしく、手術を直後に控えている場合は使い難いものらしいです
だからかな〜とまた首を傾げていました

CTで検査をした結果ですが、やっぱり治療の間が空いたので、かなり小さくなっていた肺や肝臓の癌が若干大きくなっている
あと、血液検査の炎症反応もあがってしまっているという事でした

大きくなってしまった癌を、もっぺん黙らせる作業のスタートです

あと、一週間に一回だった抗がん剤のペースが、三週間に一回に変わりました
これは本当にありがたかったです

三週間に一回に変わったことによって、体調がいい日が増えました
それから、味覚の変化が二週間後くらいには穏やかになって、ご飯が美味しいと感じる時期が出来ました

関節痛の波も、10日くらいには終ってくれる事がわかったので、それまでのガマンと決めればハイとロウを繰り返す事もありません
ほんとロウの時は、あんまり痛くて「こんなに辛いなら死んでしもうた方が、他人の迷惑にもならんしいいんちゃうやろか」と悶々とする事もあった程です

このロウの精神状態は、痛み止めを我慢しないできっちり飲む事で回避出来る様になりました


さて、皆さん覚えてくれているでしょうか

健忘録 入院編 手術後
http://masako-blog.owaraisatake.com/article/178768737.html?1487390242

こちらで「咳をすると、お腹の中でプチっと音がした」と書いていた事を

この正体が、やっと判明したのです

お腹がぽっこりとふくらんでいると、以前書いたと思います
便秘にしてもえらく大きいし、しかも右側に傾きがある歪なふくらみです

新しい病院でもお腹が大きくなっているというのは伝えたのですが、やっぱり便秘ではと
抗がん剤で便秘になる人が多いのですね
なのであまり心配する事はないというような、さらりと流される感じでした

でも便秘じゃない気がしてもう一度、CTの結果が出た時、妊婦さんみたいなんですと言ってお腹を診て貰うと、先生が「んん?」と眉をしかめてぱっとCTの写真を開きました
すると、「ごめんなさい、見落としていました」と

CTの写真をよくみると、お腹の皮が薄くなっているようなんです

そう、あのプチプチという音は、手術の時の傷口を塞いだ糸が、お腹の内側の糸が、下から順番にプチプチと切れていく音だったんです!!!!

そして、お腹が異常にふくらんでいるのは、その裂け目に腸がむぎゅっと詰まっているからだったんです!!!!

ひええええええええええ!!!
おそろしいいいい!!

ラッキーだったのは私の場合、糸が大きく切れたおかげで裂け目が大きい事でした
これがちょこっとだけ開いた状態だと、腸がきゅっと詰まって締め付けられて、便が全く出ない危険な状態になる事があるそうなんです

私の場合、お腹が張って少し苦しい、便が出にくいなどの状態ではありますが、これを治すにはもう一度開腹手術をして縫い直す必要があるという事で……

お腹を治すか癌を治すかだと、急ぐのは癌です
なので、お腹は後回しにして抗がん剤をまずやろう、という事になりました

ナンテコッタ

先生に聞きました
「私、かなり大きな咳をしてしまって、それから糸が切れたんですけど、やったらいけない事とかありましたか? あの咳が悪かったんですかね…」
先生は「咳は誰でもするので、それで切れたら大変です」

私に非は無い!!

何%かで起こってしまう症状だそうです
先生は、次やるときは絶対切れないようにするから、と約束してくれました

今日現在、まだ私のお腹の糸は切れっぱなしです
早く治したい〜〜


ちょっと嬉しかったのが9月30日
新しい病院で初めての抗がん剤の日

担当の先生が海外のお医者さんを一人連れてきました
今日だけの研修で、やってきた方だそうです

その方が私を見て
「イングリッシュ?」

私は
「モアモアモア、リトル」

たどたどしいやりとりで今日から抗がん剤だという事を伝えると、その先生はiPadを出して何やら文字を打ち始めました
私に伝えたい言葉を探しているようでした

そして

「ポジティブ」
「スマイル」

その文字を出してにっこり笑いました

は〜〜嬉しい
私もにっこり笑って「OK センキュー」と応えました

それからその方にはもう会っていませんが、また会えたら下手な英語でお話がしたいです


そして忘れもしません
その入院期間中の10月3日

「姉、佐竹と立部来る 野試合ガールのプロット」

「面白い 出る 出てやる」

お見舞いに来てくれた我が劇団お笑いサタケ道場の座長佐竹とメラゾーマ立部さん
佐竹は11月にやる予定の芝居の話を私にしました
もし出られるようなら、声だけでも……そう佐竹は言いましたが、私は出たい、出ると言いました

私のこの我が儘で、佐竹は頭の中にあったプロットを、ぶつかってはいけない壊れ物の危険人物を、がっつり殺陣芝居の「野試合ガール」に組み込み練り直すという作業をする事になってしまうのでした

ごめんね
てへ





posted by masako at 13:39| Comment(0) | 芝居以外の日常
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