2017年02月16日

健忘録 抗がん剤編@

抗がん剤編です

病理検査の結果が出たのは6月21日でした

卵巣癌 ステージWが確定
これから抗がん剤が始まりますよ、というお話でした

慣れない内は入院して、様子を見ながら点滴を行なうとの事
抗がん剤を打つペースは一週間に一度、血液検査で白血球の減り方を見て打てるかどうかの判断をするという事でした

初めての抗がん剤は6月24日
前日の23日から入院をして、血液検査などをするという事でした

実は、夏にお芝居をする予定がありました
自劇団ではなく他劇団でのお芝居だったのですが、前年からもうお話をいただいていて私も出ますとお伝えしていました
そのお芝居に出るかどうか、その選択を迫られていた時期でした

先方さんは、ぎりぎりまで出れるかどうか待ちますと言ってくれていました
ダブルキャストにしてもいいとも言ってくれました

でも、チラシを作る時には名前を入れる必要があります
じゃあ出ますと言ってチラシに名前も載ってチケットを売って、本番体調を崩して出られませんでは本当にどうしようもありません
稽古に出るにも真夏の暑い中、電車に乗って稽古をして帰る、これがまともに出来る保証はありません

期限は迫ってきます
でも、いけるかどうかは本当にわからなかったんです

結局、そのお芝居は辞退する事になりました
まだチラシは出ていないとは言え、出ると言った芝居に出ないという経験はこれが初めてでした
悔しかったです
物凄く悔しかった

早く治さないとと思いながら、お芝居の事は一旦忘れて治療に専念するよう頭を切り換える事にしました

入院の前日、21日の深夜、急にお腹が痛くなりました
ちょっと経験した事がないような物凄い腹痛です
一晩中冷や汗をかいてのたうち回って、やっと落ち着いて寝たのは明け方でした

目が覚めると今度は吐き気が凄い
予測性の吐き気というものがあるみたいで、特に私は自律神経失調症も持っているのでそのせいだったのかなと、今では思っています
実際のところはわかりません

その日は暫く起き上がる事が出来ず、明日の入院を心配するほどでした
何とか夜には食事がとれるようになり、伸ばしていた髪を姉に切って貰いました

髪が抜け始めるにはまだまだ早かったのですが、抜ける前にある程度切っておいた方がいいと、何かで見たのです
抜ける時にショックが大きいし、量も多くなるので大変だからと

髪をショートに切って、入院の準備を済まして、その日は寝ました
多分、普通に眠れたと思います

次の日、恐れていた吐き気は起こらず、ちゃんと入院が出来ました
馴染みの看護師さんから、髪を切ったの? 勿体無い! と言われました
ちょっと気が早かったかと思いましたが、姉に切って貰った髪型は好評でした

ケア担当の看護師さんからは、「丁度良い髪の長さ。特に男の人なんかは思い切って丸坊主にしちゃう人がいるけど、実はそれをすると短い毛が抜けて枕に刺さってしまい、チクチクして大変な事になる」と言われました
なるほど納得

6月24日
初めての抗がん剤です
初めてですから、何があってもいいように心拍計や酸素計をつけて、万全の状態で挑みます

超時間の点滴になるので、針は肘の内側ではなく手の甲の10センチ下辺りにするという事でした
元々注射は苦手だったのですが、血液検査や皮下注で結構慣らされてきています
それでも、針を刺すのは痛かったです
今でも苦手です

お昼過ぎに点滴スタート
アルコールが苦手なので、ゆっくり点滴を落とすので、時間はかなりかかります
飲み物や読み物をサイドテーブルに準備しておきました

ところがどっこい、吐き気止めには眠くなる作用があったので、本なんか読んでいる隙はありません
完全に寝落ちてしまいました
抗がん剤治療中、ほとんどが睡眠時間です

どれくらい眠っていたかわかりませんが、ふと目を覚ますと、体がぽかぽかしています
というか暑いのです
汗をだらだらかいています
アルコールの薬のせいだ
そう思いました

トイレに行きたくなって体を起こそうとすると、物凄い目眩と吐き気
泥酔状態です
すぐにナースコールをして吐きそうですと必死で訴え、何と呼ぶのかはわかりませんがプラスチックの入れ物を持って来て貰いました

そこからはもう記憶も飛び飛びなのですが、結局全く立つ事が出来ず、最後は尿の管を入れて貰う事になりました
それがまた! うまく入らなかったのか激痛が!!
まだ見習いの看護師さんだったのか、あれ? 入らないあれ? という感じです
隣で先輩看護師さんがああだこうだと言って、最後はそっちの看護師さんが入れてくれましたが涙が出る程痛い

そこからまた落ちるように眠って、「山本さん、針を抜きますよ」と言われたのは夜の10時
お昼に点滴を初めて10時
もう消灯していて部屋も暗くなっています

私は顔だけ洗って、また眠りにつきました

次の日
6月25日
忘れもしません主治医の先生が「どう? 結構大した事はなかったでしょ?」と言ったのです
いやいやいやあるよ!!!
全然あるよ!!!!

そんなこんなで怒濤の抗がん剤が終わり、吐き気止めや痛み止めを貰って退院となりました

抗がん剤を打って三日間は、朝昼とちょっと強めの吐き気止めを飲みます
遅れてくる吐き気があるので飲まなければならないのですが、「デカドロン」という強そうな名前のお薬です

6月26日
フラフラはしますがひどい吐き気はありません
気分転換に姉と猫カフェに行きました
久々に電車に乗りました

夜、尿に血が混じっていました
尿の管を入れた時痛かった場所が、痛みます
これ、傷ついてるんじゃ…と思いながら就寝

27日
朝から起き上がれない程の吐き気
頭を起こすと目が回る
立ち上がれない!!
それでも何とか着替えてトイレに行くと、尿が赤い
昨日より明らか血の量が多い

二階の自室に戻れず、一階の母の布団をひっぱりだして倒れる
そこから動けなくなる

林檎を貰って食べたりしましたが、もうどうにもこうにもなりません
それから、全身が割れそうに痛みます
骨が外れてるんじゃないかと思う程の痛いが、ずきずきずきずき場所変え痛みの強さを変え襲ってきます
たまらん

父が病院に電話をしてくれて、吐き気止めなんかを取りに行けたらと伝えたのですが、出来たら本人が来た方がいいとの事
どうする、行けるか? と父
頭を起こすのも辛い状態でしたが、行かねばならぬなら行くしかあるまい
行きますと答えました

父は今ずっと家にいますし、パートに出ている母もこの日はたまたま休みだったので、大慌てで支度をして私も這いずるように玄関まで行って、車の後部座席に倒れました

移動中、横になっていたら話も出来たし笑う事も出来ましたが、病院についたら体を起こさないといけません
車いすを借りての移動も、最初はこれでいける大丈夫と言っていたのですが、途中で「もう駄目だ横になりたい」という状態に

看護師さんにそれを伝えると、胸ポケットから電話を取りだし「診察室一つあけて。いいから開けて」と若干……かなり強引に私が横になる場所を確保してくださいました
ありがたい…

そこから、血液検査と尿検査があり、横になった状態で待機
点滴を打つ事になりましたが、何故か針が刺さらない
何度やっても刺さらない

看護師さんが「水分摂ってますか?」
そう言えば、頭も起こせなかったので朝から殆ど水を飲んでいません
軽い脱水状態にもなっていたようです

お水を買ってきてもらって、それをゴクゴク飲んで、ようやく点滴の針が刺さりました

血液・尿検査ともに特別な異常はなし
デカドロンとは別の吐き気止めを貰い、また車いすに乗って移動をして会計を済ませて、帰宅
夜にはご飯も食べられるようになりましたが、怒濤の一日でした

せっかくの休みだった母には悪かったなあと思ったのですが、それを伝えるとむしろ休みで良かったと言われました
もし仕事が入っていたら、休みを取らなきゃいけないところだと
ありがたいなあ


父は「治療費の事は心配しなくていいからね」と言ってくれました
やっぱり、嬉しかったです
母は私が病気で起こる色んなトラブルを「いいよいいよ、仕方ない」と言って笑ってくれます
ありがたい
親戚のおばちゃん達も、心配して物凄く声をかけてくれます
芝居仲間は応援してくれています
友達も心配してくれます
お仕事も休んでいますが、戻ってこれるように席をあけてくれています

もうどんだけ何をしたって返せない恩です
すんません、ありがとう
どうしたらいいだろう、私

頭をどうひねくっても丁度良い言葉が出て来なくなってしまったので、ここまで







タグ:抗がん剤
posted by masako at 15:15| Comment(0) | 芝居以外の日常
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: