2017年03月16日

健忘録 かみさまのはなし

なんやねんこのタイトルと思われるかもしれませんが、ちょっと精神論的なお話を今日はさせていただきます

私は、多分一般のご家庭よりも「かみさま」というものに近い生活を送っていました

というのも、私の祖母とおばがキリスト教を信仰していたからです
だからと言って私がキリスト教かというとそうではないのですが、昔からかみさまという単語に近く接して生きてきたと思います

私のかみさまへの接し方は、他愛のない事が殆どでした

おなかがいたい
かみさまなおしてください
消しゴムがなくなった
かみさま見付けてください

こんな感じです
そして「私のかみさま」は、いつもそれを叶えてくれていました

大きくなって「私のかみさま」はかなり単純なシステムのようなものになっています
悪い事をしたら怒られる
いい事をしたら褒められる

こんな具合です

私の中のイメージで「善いこと」=「かみさま」になっています

病気をして思ったのは、私が病気になったのには何か意味があるのだろうという事でした
実際、病気になったお陰で気付けた事が沢山ありました

家族の優しさだとか友人のありがたみ、芝居仲間の情の厚さ
勿体無いくらいぽかぽかしたものが私には両手一杯溢れていました

そして、自分を偽らない事、我慢をしない事、そんな事も学びました

色々感じて変れて、でもまだ癌は治っていないので、きっとまだまだ私には癌と向き合わなくてはいけない理由があるのだろうと思っています

去年一年で多分今まで生きてきた分の痛みと吐き気をさらうように体験させられたと思っています
痛みに関しては現在進行形でまだ続いています

なので、最悪私のかみさまは私を治さないかもしれないとも思っています
かみさまが私が死ぬ事に何か大きな理由を見付けているのなら、私はそうなる運命なのではないかと思ったりもするのです

勿論、それを甘受する程出来た人間ではありませんので、必死で治してとお願いしていますよ!
でもかみさまの物差しで考えた時、ふとそんな事を思うのです

なので、私が私のかみさまにも一つ必死でお願いするのは、痛みや苦しみで喚いたり呻いたりする事があったとしても、その時の私が今の様な精神状態をキープできますようにという事です
今の脳内コンディションで、目の前のでっかい壁に立ち向かえますようにという事です

誰かのせいにするのなんて嫌です
ああすればよかった、こうしたらきっと良かったなんて、言い訳や後悔をするのもまっぴら御免なんです

私は私のかみさまに心の底から強く強く、その事をお願いしています







と、ここで終るとだからおまえは気持ちが弱いんだ馬鹿者めと怒られてしまいそうです
それに、私もそこまでできた人間ではありません

なのでやっぱりぎりぎりまで必死で足掻きたいと思います




メラゾーーーーーーーマ!!!!!!!
ア゛ア゛ーーーーーーッ!!!!!!!(起立、絶叫)




posted by masako at 12:56| Comment(7) | 芝居以外の日常