少し間が空きました、ブログです
そうそう、抗がん剤が変わったという話を以前したかと思いますが、副作用も変わるという事で…薬剤師の先生から「もしかしたら、髪の毛が生えてくるかも。手足の痺れも良くなるかも。かもかも」と聞かされていた訳です
毛、生えてきました!!!
眉毛がわかりやすくしっかり生えてきまして、続いて睫も
髪も少しずつですが伸びてきています
が、髪はウイッグない状態で外に出られるようになるまで一年はかかるという話ですので、もうちょっと我慢です
手足の痺れに関してはまだわからない状態です
良くなるといいな〜
さてさて、お芝居編です
前回、佐竹と立部さんがお見舞いに来てくれて、お芝居に出ると決めたところまで書いたと思うのですが、お芝居に出るにあたって、確認しておかないといけない事がありました
主治医の先生に聞きました
「お芝居をする事になったんですが、やってはいけない事はありますか?」
これです
腰に癌の転移があるので激しい運動や尻餅は厳禁です
腰の骨が折れやすくなっているという事でした
それ以外にも何かあればと思ったのです
「体を鍛えたりとか…腕立てとか腹筋とか、どうでしょうか」
と聞いてみたところ先生が即答しました
「腹筋は駄目ですよ。というか意味がありません。今お腹の筋肉、左右にわかれてますから」
お腹の筋肉が左右に……
そうでした
私のお腹、内側の糸が切れているんでした
薄皮一枚切れていると思いきや、まさか筋肉も左右にさようならしているとは…
ぞぞ〜〜
私の肉体改造計画はここで頓挫しました
とりあえず、舞台に出るのはOK
これだけ許可はいただきました
三週間に一度の抗がん剤がありますが、本番は抗がん剤後2週目と副作用も落ち着いてくる絶好の時期となりました
これはいける
出る気満々の私ですが、私より周りの人達が大変でした
佐竹さんは台本を練り直し、立部さんと北さんは私に負担がかかりすぎないように作業を買って出てくれました
制作さんはおべんとうをやめて暖かいまかないを食べられるようにしてくださって、スタッフさんも気を使ってくださって、共演者の方々にもそれは色々と……
今思い返すと恐ろしいです
当時はもうお芝居に出られるというだけでもきゃっきゃしていたのですが、沢山の方々のフォローのお陰で舞台に立てていたのです
本当にありがとうございます
チラシは前作野試合ガールの写真を元に、「まっきー」がデザインしてくれたものです
素敵
がっつり殺陣芝居の中、私ともう一人だけ殺陣がない特別仕様
前作、野試合ガールは現代のお芝居で私もがっつり殺陣をしていました
それが今回舞台はいきなり宇宙へ!
人気の少ない宇宙ステーションに一人佇む「織田信子」
突如、警報が鳴り響き警備員に囲まれる
ステーションに鳴り響くのは、信子を殺人容疑で逮捕するという機械的なアナウンス
信子は、その声に聞き覚えがあった
「あたしは誰も殺していない。あたしは織田信子だ。知ってるだろ?」
『罪状 宇宙野試合ギャラクティックウォーズ本能寺の変バトルにおいて、織田信子殺害容疑 容疑者の名前は 明智 光』
「あんたもやってみたかったんだろ? 野試合」
こんな気になる始まりのお芝居
DVDは現在鋭意作成中で御座います
お待たせしている皆様、申し訳ありませんっ
さてさて、本番の時期は体が一番楽な時なのでいいのですが、しんどい時期は必ず通過しなければなりません
それは稽古期間中もです
関節痛に襲われながらの稽古は、本当に辛いものがありました
OMの劇場をお借りした稽古の時などは、客席の段差を上り下りするのも辛くておばあちゃん状態に
佐竹がスタッフさんと打ち合わせをしている間はいいから横になれと言われたものの他の皆はそれぞれ作業をしていたり稽古をしていたりして、私も手伝いたいのに体が辛い
申し訳ないやら辛いやら
も〜本当に役立たずですみませんでした:;
迎えた本番、その頃は本当に元気でピンピンしていて、本番中に肉離れを起こしかけた立部さんよりむしろ元気でした
お客様からパワーを貰うという感覚が、今までよりよっぽど感じられて、私にとっては本当に色んな事がじゅわっと染みこんだ本番でした
本当にありがとうございました
感謝しかありません
公演後がたっと落ちるのではないかと私ではなく周りが心配していたのですが、それは大丈夫でした
本番の次の日に人恋しくなって、荷物を返しに行く佐竹に同行し、立部さんと三人でご飯を食べるくらいに元気でした
毎日毎日沢山の人に囲まれて、笑って過ごしていたのが急に静かになって、公演後暫く寂しかったのは内緒です
普段はこんな風にはならないんですよ!
今自宅警備員なので…という事ですよ
元気が余っていた分、次の抗がん剤が憂鬱で仕方なかったのですが…それは仕方が無いですね
ぎりぎりまで落ち込み気味の気持ちだったのですが、いやいや、お薬が打てるだけ有り難い事だぞと自分を奮い立たせて病院に向うのでした
2017年02月26日
番外 お芝居編〜SF野試合ガールの裏側〜
posted by masako at 22:18| Comment(2)
| 芝居以外の日常
2017年02月18日
健忘録 抗がん剤編B
7月一杯はこんな感じで、吐き気、散歩、吐き気、散歩と繰り返していました
でも少しずつですが、体が楽な日が多くなってきたのです
理由は、血液検査にひっかかって、毎週は抗がん剤を打てない日が出てきた事です
メモを見ると
7月29
血液検査にひっかかり今回もお休み
8月2日
吐き気は気にならなくなってきた
吐き気の原因は、明らかに抗がん剤でした
抗がん剤を打つペースを二週に一度などに変えられないかと聞いてみたのですが、この方が効くから……との事
でも白血球が減ってしまって、どちらにしろ二週に一度くらいにしか打てなくなってきているのです
その頃から、はっきりとお腹がおかしくなっていました
なんだかお腹がぽっこりと出ているのです
先生に下腹がふくらんでいると伝えましたが、便秘でしょうとの事
それまであまり便秘に縁が無かったので、とても苦しかったです
それになんだか、手術の痕がぴりぴりします
抗がん剤対自分のチキンレースをしているみたいだ
そう思っていました
この辺りで、父がセカンドオピニオンをしたらどうかと言う様になりました
そもそも、定期検診をしていたのにいきなり癌になって、しかもステージW
入院する前から病院に不信感を持っていたのです
更に、私が自律神経の発作で退出した手術前のお話で、先生は
「抗がん剤で癌を小さくたら、手術をする。その時は今ある癌も、今後再発、転移の可能性がある臓器も出来るだけ取る。大腸も取って、ストーマを入れる」と言っていたそうなんです
私は直接話を聞いていなかったので<その可能性がある>なのか<絶対にそうする>なのかがわかりませんが、話を聞いた父はそこまでしないといけないのかと思ったそうです
8月16日
再びPETCTの検査を行ないました
結果が出たのは8月19日
肺、肝臓の癌は殆ど消えたとの事
ただし、首や胸のリンパ、骨の癌は大きくなっているという事でした
その時自分が何を考えていたのか、メモに何も書いていないのでわかりません
9月に入って、腰痛に痛み止めが必要になってきました
それから、お腹がぱんぱんに張っているのが全くひきません
病院ともう一つ、8月29日から免疫療法の病院にかかりました
そちらの先生に現状を説明すると、曰く「このままだと良くない。絶対に病院を変えた方がいい」
悩みました
今までお世話になっている病院ですし、手術も検査もそこでしてもらっています
看護師さん達とも仲良くなっていますし、何より家から近かったのです
ですが先生が「いい先生を知っているから紹介状を書いてあげる」と言ってくださった事もあって、とりあえずお話をしに新しい病院へ行く事になりました
9月7日
この日はお話をして、次の予約を取るのみになりました
お話の内容は、私の想像しているものとは違いました
紹介状を貰って行ったのですが、先生的にはあまり自分の病院で受ける事をお薦めしない感じだったのです
今の病院の方が家から近いので、何かあった時の対処がしやすい
今すぐ入る訳ではないけれど、実家近くで緩和ケアやホスピスを探しておいた方がいいのではないか
またもまたも、ごっつーんと衝撃です
先生は、私が治らないと思っているようです
末期の癌だという認識はあります
でも自覚はありません!!
私は治る気で生きています
そんな事を言われるとは思いもせず、なんだか驚いて思考が止まりました
今から思えば、先生は私がこちらの病院で診察を受けるか悩んでいるのに気付いていたのかもしれません
前の病院ではこうでこうでと説明したのが付き添いの父であったし、私がもにょもにょとはっきりしない事を言ってしまったのかもしれません
とにかく、もう一度どうするかを考えてみてほしい
そう言われて、次の予約は9月28日になり、その日は帰りました
それから数日間悶々としていて、それでもやっぱり我慢出来なくて
夜、私の部屋に「やあ、元気かい?」と遊びにきてくれた姉にたまっていたもやもやを全部吐き出しました
夜中の12時に近かったです
「今時間ある? 明日仕事? 聞いてほしい事があるねんけど」
「大丈夫やで。何?」
ありがたかったです
私は先生の話でどんだけ不安になってしまったかをわーーーーー!!! っと吐き出しました
ぼろぼろ泣きました
姉は全部聞いてくれて、そんな事にはならない、絶対に大丈夫と完全否定してくれました
全て吐き出して、吐き出したものをすっぱり切ってもらうとすっきりして、嘘みたいにもやもやも不安も消えました
病院を移す準備も進んでいます
28日、次の診察の時は病院を移して貰うようお願いしようという事になりました
以下、自分メモから
9月12日
今日は腰が痛い日
9月14日
痛み止めを新しく変えてみる
9月16日
下腹の張りが大きい 28日まで後12日
9月18日
お芝居を観に行く やっぱり出たかった
9月19日
お腹が張って、ご飯が食べにくい
9月20日
朝まで眠れた!
ご飯、時間かけて何とか食べる がんばった
9月21日
腰痛があまりに酷いので、28日まで待てず新しい病院へ行く事になりました
私があまりにへろへろだったので、父と母がつきそってくれました
飛び込みだったので待ち時間は長くなるとの事でしたが、診察はして貰えました
ここで、これからどうするかの話をもう一度しました
先生は私に、貴女はどうしたいの? と聞きました
私は、今どちらに診て貰うかで抗がん剤がストップして治療が止まっている
体の調子が明らかにおかしい
早く治療がしたい
と言いました
先生は「わかった。じゃあやりましょう」と言いました
トントンと次の入院が決まりました
その病院では初めての抗がん剤です
抗がん剤の前に、この病院でも検査をするという事になりました
そして、強い痛み止めのお薬を貰いました
何と言うか…麻薬の成分が入った痛み止めらしいのですが(勿論人体に影響はありません)副作用で吐き気があるそうです
吐きけ止めとセットで飲む薬ですが、吐き気も一週間も飲んでいれば慣れてくるという話でした
お薬の袋に<麻>の真っ赤な判子が押してある、主張の激しいお薬でした
帰りに和食のお店に寄って、私はおうどんを食べました
何にしろ色々先が決まって良かった
そんな話をしつつ、私は食後に貰った痛み止めと吐きけ止めを飲みました
ですがこの日から、またも吐き気との戦いが始まります
9月21日
21時に薬を飲み0時に突然吐き気
横になる ガマン
9月22日
痛み止めの吐き気で一日動けない
9月23日
21日同様ほとんど動けず 入院の用意は何とか
9月24日
グロッキーな状態で入院
9月25日
吐き気は相変わらず
9月26日
CT 後吐いた
9月27日
骨のCD(書き間違えています) 後吐いた
9月28日
頭のMRI やっぱり吐いた
その後も吐いたや吐かんやが一週間どころか腰痛がマシになる10月半ばまで続きます
一週間くらいで慣れる筈だったのですが、全く慣れませんでした!!!
どうもお薬との相性が強烈に悪かったようです
抗がん剤ですが、最初の病院では「パクリタキセル」と「カルボプラチン」のみだったのですが、「アバスチン」も投与する事になりました
先生はどうして「アバスチン」を使わなかったのかな〜と首を傾げていましたが、アバスチンには血をさらさらにしてしまう成分が入っているらしく、手術を直後に控えている場合は使い難いものらしいです
だからかな〜とまた首を傾げていました
CTで検査をした結果ですが、やっぱり治療の間が空いたので、かなり小さくなっていた肺や肝臓の癌が若干大きくなっている
あと、血液検査の炎症反応もあがってしまっているという事でした
大きくなってしまった癌を、もっぺん黙らせる作業のスタートです
あと、一週間に一回だった抗がん剤のペースが、三週間に一回に変わりました
これは本当にありがたかったです
三週間に一回に変わったことによって、体調がいい日が増えました
それから、味覚の変化が二週間後くらいには穏やかになって、ご飯が美味しいと感じる時期が出来ました
関節痛の波も、10日くらいには終ってくれる事がわかったので、それまでのガマンと決めればハイとロウを繰り返す事もありません
ほんとロウの時は、あんまり痛くて「こんなに辛いなら死んでしもうた方が、他人の迷惑にもならんしいいんちゃうやろか」と悶々とする事もあった程です
このロウの精神状態は、痛み止めを我慢しないできっちり飲む事で回避出来る様になりました
さて、皆さん覚えてくれているでしょうか
健忘録 入院編 手術後
http://masako-blog.owaraisatake.com/article/178768737.html?1487390242
こちらで「咳をすると、お腹の中でプチっと音がした」と書いていた事を
この正体が、やっと判明したのです
お腹がぽっこりとふくらんでいると、以前書いたと思います
便秘にしてもえらく大きいし、しかも右側に傾きがある歪なふくらみです
新しい病院でもお腹が大きくなっているというのは伝えたのですが、やっぱり便秘ではと
抗がん剤で便秘になる人が多いのですね
なのであまり心配する事はないというような、さらりと流される感じでした
でも便秘じゃない気がしてもう一度、CTの結果が出た時、妊婦さんみたいなんですと言ってお腹を診て貰うと、先生が「んん?」と眉をしかめてぱっとCTの写真を開きました
すると、「ごめんなさい、見落としていました」と
CTの写真をよくみると、お腹の皮が薄くなっているようなんです
そう、あのプチプチという音は、手術の時の傷口を塞いだ糸が、お腹の内側の糸が、下から順番にプチプチと切れていく音だったんです!!!!
そして、お腹が異常にふくらんでいるのは、その裂け目に腸がむぎゅっと詰まっているからだったんです!!!!
ひええええええええええ!!!
おそろしいいいい!!
ラッキーだったのは私の場合、糸が大きく切れたおかげで裂け目が大きい事でした
これがちょこっとだけ開いた状態だと、腸がきゅっと詰まって締め付けられて、便が全く出ない危険な状態になる事があるそうなんです
私の場合、お腹が張って少し苦しい、便が出にくいなどの状態ではありますが、これを治すにはもう一度開腹手術をして縫い直す必要があるという事で……
お腹を治すか癌を治すかだと、急ぐのは癌です
なので、お腹は後回しにして抗がん剤をまずやろう、という事になりました
ナンテコッタ
先生に聞きました
「私、かなり大きな咳をしてしまって、それから糸が切れたんですけど、やったらいけない事とかありましたか? あの咳が悪かったんですかね…」
先生は「咳は誰でもするので、それで切れたら大変です」
私に非は無い!!
何%かで起こってしまう症状だそうです
先生は、次やるときは絶対切れないようにするから、と約束してくれました
今日現在、まだ私のお腹の糸は切れっぱなしです
早く治したい〜〜
ちょっと嬉しかったのが9月30日
新しい病院で初めての抗がん剤の日
担当の先生が海外のお医者さんを一人連れてきました
今日だけの研修で、やってきた方だそうです
その方が私を見て
「イングリッシュ?」
私は
「モアモアモア、リトル」
たどたどしいやりとりで今日から抗がん剤だという事を伝えると、その先生はiPadを出して何やら文字を打ち始めました
私に伝えたい言葉を探しているようでした
そして
「ポジティブ」
「スマイル」
その文字を出してにっこり笑いました
は〜〜嬉しい
私もにっこり笑って「OK センキュー」と応えました
それからその方にはもう会っていませんが、また会えたら下手な英語でお話がしたいです
そして忘れもしません
その入院期間中の10月3日
「姉、佐竹と立部来る 野試合ガールのプロット」
「面白い 出る 出てやる」
お見舞いに来てくれた我が劇団お笑いサタケ道場の座長佐竹とメラゾーマ立部さん
佐竹は11月にやる予定の芝居の話を私にしました
もし出られるようなら、声だけでも……そう佐竹は言いましたが、私は出たい、出ると言いました
私のこの我が儘で、佐竹は頭の中にあったプロットを、ぶつかってはいけない壊れ物の危険人物を、がっつり殺陣芝居の「野試合ガール」に組み込み練り直すという作業をする事になってしまうのでした
ごめんね
てへ
でも少しずつですが、体が楽な日が多くなってきたのです
理由は、血液検査にひっかかって、毎週は抗がん剤を打てない日が出てきた事です
メモを見ると
7月29
血液検査にひっかかり今回もお休み
8月2日
吐き気は気にならなくなってきた
吐き気の原因は、明らかに抗がん剤でした
抗がん剤を打つペースを二週に一度などに変えられないかと聞いてみたのですが、この方が効くから……との事
でも白血球が減ってしまって、どちらにしろ二週に一度くらいにしか打てなくなってきているのです
その頃から、はっきりとお腹がおかしくなっていました
なんだかお腹がぽっこりと出ているのです
先生に下腹がふくらんでいると伝えましたが、便秘でしょうとの事
それまであまり便秘に縁が無かったので、とても苦しかったです
それになんだか、手術の痕がぴりぴりします
抗がん剤対自分のチキンレースをしているみたいだ
そう思っていました
この辺りで、父がセカンドオピニオンをしたらどうかと言う様になりました
そもそも、定期検診をしていたのにいきなり癌になって、しかもステージW
入院する前から病院に不信感を持っていたのです
更に、私が自律神経の発作で退出した手術前のお話で、先生は
「抗がん剤で癌を小さくたら、手術をする。その時は今ある癌も、今後再発、転移の可能性がある臓器も出来るだけ取る。大腸も取って、ストーマを入れる」と言っていたそうなんです
私は直接話を聞いていなかったので<その可能性がある>なのか<絶対にそうする>なのかがわかりませんが、話を聞いた父はそこまでしないといけないのかと思ったそうです
8月16日
再びPETCTの検査を行ないました
結果が出たのは8月19日
肺、肝臓の癌は殆ど消えたとの事
ただし、首や胸のリンパ、骨の癌は大きくなっているという事でした
その時自分が何を考えていたのか、メモに何も書いていないのでわかりません
9月に入って、腰痛に痛み止めが必要になってきました
それから、お腹がぱんぱんに張っているのが全くひきません
病院ともう一つ、8月29日から免疫療法の病院にかかりました
そちらの先生に現状を説明すると、曰く「このままだと良くない。絶対に病院を変えた方がいい」
悩みました
今までお世話になっている病院ですし、手術も検査もそこでしてもらっています
看護師さん達とも仲良くなっていますし、何より家から近かったのです
ですが先生が「いい先生を知っているから紹介状を書いてあげる」と言ってくださった事もあって、とりあえずお話をしに新しい病院へ行く事になりました
9月7日
この日はお話をして、次の予約を取るのみになりました
お話の内容は、私の想像しているものとは違いました
紹介状を貰って行ったのですが、先生的にはあまり自分の病院で受ける事をお薦めしない感じだったのです
今の病院の方が家から近いので、何かあった時の対処がしやすい
今すぐ入る訳ではないけれど、実家近くで緩和ケアやホスピスを探しておいた方がいいのではないか
またもまたも、ごっつーんと衝撃です
先生は、私が治らないと思っているようです
末期の癌だという認識はあります
でも自覚はありません!!
私は治る気で生きています
そんな事を言われるとは思いもせず、なんだか驚いて思考が止まりました
今から思えば、先生は私がこちらの病院で診察を受けるか悩んでいるのに気付いていたのかもしれません
前の病院ではこうでこうでと説明したのが付き添いの父であったし、私がもにょもにょとはっきりしない事を言ってしまったのかもしれません
とにかく、もう一度どうするかを考えてみてほしい
そう言われて、次の予約は9月28日になり、その日は帰りました
それから数日間悶々としていて、それでもやっぱり我慢出来なくて
夜、私の部屋に「やあ、元気かい?」と遊びにきてくれた姉にたまっていたもやもやを全部吐き出しました
夜中の12時に近かったです
「今時間ある? 明日仕事? 聞いてほしい事があるねんけど」
「大丈夫やで。何?」
ありがたかったです
私は先生の話でどんだけ不安になってしまったかをわーーーーー!!! っと吐き出しました
ぼろぼろ泣きました
姉は全部聞いてくれて、そんな事にはならない、絶対に大丈夫と完全否定してくれました
全て吐き出して、吐き出したものをすっぱり切ってもらうとすっきりして、嘘みたいにもやもやも不安も消えました
病院を移す準備も進んでいます
28日、次の診察の時は病院を移して貰うようお願いしようという事になりました
以下、自分メモから
9月12日
今日は腰が痛い日
9月14日
痛み止めを新しく変えてみる
9月16日
下腹の張りが大きい 28日まで後12日
9月18日
お芝居を観に行く やっぱり出たかった
9月19日
お腹が張って、ご飯が食べにくい
9月20日
朝まで眠れた!
ご飯、時間かけて何とか食べる がんばった
9月21日
腰痛があまりに酷いので、28日まで待てず新しい病院へ行く事になりました
私があまりにへろへろだったので、父と母がつきそってくれました
飛び込みだったので待ち時間は長くなるとの事でしたが、診察はして貰えました
ここで、これからどうするかの話をもう一度しました
先生は私に、貴女はどうしたいの? と聞きました
私は、今どちらに診て貰うかで抗がん剤がストップして治療が止まっている
体の調子が明らかにおかしい
早く治療がしたい
と言いました
先生は「わかった。じゃあやりましょう」と言いました
トントンと次の入院が決まりました
その病院では初めての抗がん剤です
抗がん剤の前に、この病院でも検査をするという事になりました
そして、強い痛み止めのお薬を貰いました
何と言うか…麻薬の成分が入った痛み止めらしいのですが(勿論人体に影響はありません)副作用で吐き気があるそうです
吐きけ止めとセットで飲む薬ですが、吐き気も一週間も飲んでいれば慣れてくるという話でした
お薬の袋に<麻>の真っ赤な判子が押してある、主張の激しいお薬でした
帰りに和食のお店に寄って、私はおうどんを食べました
何にしろ色々先が決まって良かった
そんな話をしつつ、私は食後に貰った痛み止めと吐きけ止めを飲みました
ですがこの日から、またも吐き気との戦いが始まります
9月21日
21時に薬を飲み0時に突然吐き気
横になる ガマン
9月22日
痛み止めの吐き気で一日動けない
9月23日
21日同様ほとんど動けず 入院の用意は何とか
9月24日
グロッキーな状態で入院
9月25日
吐き気は相変わらず
9月26日
CT 後吐いた
9月27日
骨のCD(書き間違えています) 後吐いた
9月28日
頭のMRI やっぱり吐いた
その後も吐いたや吐かんやが一週間どころか腰痛がマシになる10月半ばまで続きます
一週間くらいで慣れる筈だったのですが、全く慣れませんでした!!!
どうもお薬との相性が強烈に悪かったようです
抗がん剤ですが、最初の病院では「パクリタキセル」と「カルボプラチン」のみだったのですが、「アバスチン」も投与する事になりました
先生はどうして「アバスチン」を使わなかったのかな〜と首を傾げていましたが、アバスチンには血をさらさらにしてしまう成分が入っているらしく、手術を直後に控えている場合は使い難いものらしいです
だからかな〜とまた首を傾げていました
CTで検査をした結果ですが、やっぱり治療の間が空いたので、かなり小さくなっていた肺や肝臓の癌が若干大きくなっている
あと、血液検査の炎症反応もあがってしまっているという事でした
大きくなってしまった癌を、もっぺん黙らせる作業のスタートです
あと、一週間に一回だった抗がん剤のペースが、三週間に一回に変わりました
これは本当にありがたかったです
三週間に一回に変わったことによって、体調がいい日が増えました
それから、味覚の変化が二週間後くらいには穏やかになって、ご飯が美味しいと感じる時期が出来ました
関節痛の波も、10日くらいには終ってくれる事がわかったので、それまでのガマンと決めればハイとロウを繰り返す事もありません
ほんとロウの時は、あんまり痛くて「こんなに辛いなら死んでしもうた方が、他人の迷惑にもならんしいいんちゃうやろか」と悶々とする事もあった程です
このロウの精神状態は、痛み止めを我慢しないできっちり飲む事で回避出来る様になりました
さて、皆さん覚えてくれているでしょうか
健忘録 入院編 手術後
http://masako-blog.owaraisatake.com/article/178768737.html?1487390242
こちらで「咳をすると、お腹の中でプチっと音がした」と書いていた事を
この正体が、やっと判明したのです
お腹がぽっこりとふくらんでいると、以前書いたと思います
便秘にしてもえらく大きいし、しかも右側に傾きがある歪なふくらみです
新しい病院でもお腹が大きくなっているというのは伝えたのですが、やっぱり便秘ではと
抗がん剤で便秘になる人が多いのですね
なのであまり心配する事はないというような、さらりと流される感じでした
でも便秘じゃない気がしてもう一度、CTの結果が出た時、妊婦さんみたいなんですと言ってお腹を診て貰うと、先生が「んん?」と眉をしかめてぱっとCTの写真を開きました
すると、「ごめんなさい、見落としていました」と
CTの写真をよくみると、お腹の皮が薄くなっているようなんです
そう、あのプチプチという音は、手術の時の傷口を塞いだ糸が、お腹の内側の糸が、下から順番にプチプチと切れていく音だったんです!!!!
そして、お腹が異常にふくらんでいるのは、その裂け目に腸がむぎゅっと詰まっているからだったんです!!!!
ひええええええええええ!!!
おそろしいいいい!!
ラッキーだったのは私の場合、糸が大きく切れたおかげで裂け目が大きい事でした
これがちょこっとだけ開いた状態だと、腸がきゅっと詰まって締め付けられて、便が全く出ない危険な状態になる事があるそうなんです
私の場合、お腹が張って少し苦しい、便が出にくいなどの状態ではありますが、これを治すにはもう一度開腹手術をして縫い直す必要があるという事で……
お腹を治すか癌を治すかだと、急ぐのは癌です
なので、お腹は後回しにして抗がん剤をまずやろう、という事になりました
ナンテコッタ
先生に聞きました
「私、かなり大きな咳をしてしまって、それから糸が切れたんですけど、やったらいけない事とかありましたか? あの咳が悪かったんですかね…」
先生は「咳は誰でもするので、それで切れたら大変です」
私に非は無い!!
何%かで起こってしまう症状だそうです
先生は、次やるときは絶対切れないようにするから、と約束してくれました
今日現在、まだ私のお腹の糸は切れっぱなしです
早く治したい〜〜
ちょっと嬉しかったのが9月30日
新しい病院で初めての抗がん剤の日
担当の先生が海外のお医者さんを一人連れてきました
今日だけの研修で、やってきた方だそうです
その方が私を見て
「イングリッシュ?」
私は
「モアモアモア、リトル」
たどたどしいやりとりで今日から抗がん剤だという事を伝えると、その先生はiPadを出して何やら文字を打ち始めました
私に伝えたい言葉を探しているようでした
そして
「ポジティブ」
「スマイル」
その文字を出してにっこり笑いました
は〜〜嬉しい
私もにっこり笑って「OK センキュー」と応えました
それからその方にはもう会っていませんが、また会えたら下手な英語でお話がしたいです
そして忘れもしません
その入院期間中の10月3日
「姉、佐竹と立部来る 野試合ガールのプロット」
「面白い 出る 出てやる」
お見舞いに来てくれた我が劇団お笑いサタケ道場の座長佐竹とメラゾーマ立部さん
佐竹は11月にやる予定の芝居の話を私にしました
もし出られるようなら、声だけでも……そう佐竹は言いましたが、私は出たい、出ると言いました
私のこの我が儘で、佐竹は頭の中にあったプロットを、ぶつかってはいけない壊れ物の危険人物を、がっつり殺陣芝居の「野試合ガール」に組み込み練り直すという作業をする事になってしまうのでした
ごめんね
てへ
posted by masako at 13:39| Comment(0)
| 芝居以外の日常
2017年02月17日
健忘録 抗がん剤編A
病院へ行って吐き気止めを貰って、次の日には尿に血が混じる事もなくなりました
先生によると、夜の間にたまっていた血液が、朝一気に出て特に赤い尿が出たのでしょうとの事
なんかとんでもない事になったのかと思っていたので、かなりホッとしました
それから数日後には二回目の抗がん剤、また入院です
私は、毎日簡単なメモを残すようにしていたのですが、この頃書かれているのは「吐き気有り」「今日は吐き気無し」これがとにかく多いです
吐き気に怯えながら手探りで生活をしていました
「吐き気なし 胃もたれ有」
「吐き気はないけれど胃もたれ続く」
「朝からしっかり歩く 夕食後食べた物を吐く 水がざぱっと出た感じ」
「朝吐きけ止め 昼からは体調良 夜吐きけでご飯食べられず」
こんな感じです
もうパニック状態です
強い痛み止めで吐き気の副作用があるお薬も貰っていたので、抗がん剤による吐き気なのか薬の副作用なのかそれとも癌が悪化してしまったのかわからなくって
ぐるんぐるんしました
関節・筋肉痛がこれまた厄介で、骨に転移があるとその場所は結構痛むのですが、関節痛なのか骨が痛いのか自分ではわからないんです!
頬から頭にかけてとか、脛とか、太股、脹脛、腰、背中、胸筋も痛みます
ゴムのとんかちで殴ったみたいな痛みが、ずきー、ずきーと起こります
しかも日によって波があるので、「うわ〜今日は調子いいぞ〜! ひゃっほー!」からの「あかん……昨日はしゃぎすぎた…ホンマすんません…」の繰り返し
ハイとロウを繰り返すので、精神的にも参ってきます
左の鎖骨上にしこりも出来てしまい、これも私を不安にさせる要素でした
でも、メモを残していくと、少しずつですがわかってくる事があります
抗がん剤を打って次の日は体調が良い
三日目くらいから吐き気が出るので吐き気止めを飲んでおいた方がいい
とか
毎回同じところが痛くなるから、これは癌じゃなくて副作用
とか
それでもその流れを掴むまでに結構な時間がかかりましたし、特に夏の間は食欲が殆ど無くて何を食べるか毎日悩んでいました
両親も相当気を揉んだと思います
この頃はちょっとでも「うぷっ」となったら私より先に母が「吐く? 大丈夫?」と聞いてきたような感じです
味覚の変化も7月頭には始まってしまい、何を食べても変な味になってしまいました
忘れられないのがたこ焼きです
選挙の期日前投票に行った日だったので7月9日
投票に行った帰りに無性に食べたくなって、たこ焼きを買って家に帰ったら、ソースの味が全く違うんです
表現しにくいのですが、甘辛いの辛いを抜いて、甘みに合成調味料をふんだんに盛り込んだ味、とでも言いましょうか
全然美味しくない!
結局一個だけ食べて、しょんぼりしていました
味覚の変化は、きっちり歯を磨いて口内環境を良くすると、改善されると聞いています
食事のあとは欠かさず歯を磨くようにしていますが、マシになったような…
やらないよりかはやった方がいいかな、すっきりするし、という感じです
暑い間は主食がスイカだった気がします
それから林檎、バナナ、ゼリー
裏庭に主に父が手入れをしている小さな畑があるのですが、そこで出来たプチトマトとキュウリは朝の収穫後にいただいていました
立部さん曰く「虫のような食事」
否定はしない
いっそネタにする
次に、臭いも駄目になりました
私は野菜を煮る臭いやお出汁の臭い
炊きたてのお米の臭い
お魚などの煮物焼き物の臭い
この辺りが全部駄目になりました
嗅ぐと吐き気がして口に入れられない
そりゃ、食欲も落ちますよね
対処方としては、料理が冷めてから食べる
なのですが、それでも色々限界があるので、今かなり偏食家です
こればっかりは、本当に慣れませんでした
人によっては、お花の匂いとかタンスの防虫剤の臭いが駄目という話も聞きました
以前入院患者へのお見舞いでお花が駄目な場合があると書きましたが、これがそうなんですね
想像以上にやっかいです
食と言えばその頃、一冊の本を買ってきて読んでいました
癌になったら何を食べたら良いかという本だったのですが、食事療法というのはかなり効果があると言われているみたいなのですね
でも、本の通りにすると今まで食べていたものは何も食べられなくなるんです!
ブドウ糖(体内でブドウ糖に変わるものも含め)が駄目だというのは良く知られていると思うのですが
塩駄目 砂糖駄目 化学調味料駄目 農薬駄目 牛豚駄目 乳製品駄目(これは良いというお医者様もいます) 極めつけが、米駄目 小麦駄目
とにかく野菜!
無農薬野菜を目一杯食え!!
私……パスタ食べて生きてるんですけど……
代替え品として、お米の代わりに玄米
小麦粉の代わりに全粒粉
塩は岩塩 砂糖は黒砂糖やてんさい糖
と、ありました
外食は以ての外と
もちろん、それで癌が治っている方もいます
私も最初は出来るだけやってみようとしました
お菓子を絶って、果物食べました
玄米を食べてみました
ですが、抗がん剤で弱った体に玄米は……無理でした…
そもそも臭いで駄目でした
胃腸も弱っていたので生野菜も消化に悪く、みるみる体重が落ち……
諦めましたヽ(・∀・)ノ
玄米は体に合う合わないがあるそうですし、私にはこの方法は合わなかった
そう思って、自分で出来る範囲でだけ実行する事にしました
お菓子は食べます
時々ケーキなんかも食べます
食べ過ぎないようには気を付けます
自然食品のお店に行って、無農薬のさつまいもチップなんかも買って食べます
お米も玄米も食べにくいので、今よく食べているのはお餅です
消化に悪いという話もあるので良く噛んで……胃腸が弱っている時はお米を少しだけ食べるようにしています
お餅も糖になるので玄米の代わりになる訳ではないのですが、臭いも気にならずにパクパク食べられたので、今年の頭からずーっと食べています
お肉は出来るだけ鳥を食べています
元々焼き肉に禁断症状を覚える座長とは真逆なので、これは平気です
それから、人参ジュース
特に皮に含まれる成分が癌に有効なのだとか
従兄弟が人参を送ってきてくれているので、これもありがたく飲んでいます
食べたいな〜と思うものを食べて、食べにくいな〜と思うものは避けています
もうこれでいいかなって
勿論!!!
これがまんま参考になるとは言えません
自然食でしっかり癌を治した方からすれば、邪道以外のなにものでもないと思います
食事療法は私が合わず、我慢できなかっただけです
食事療法が気になる方は、ネットで検索すると沢山出てくると思います
その中で、自分が合いそうなものを探したり、指導をしてくれる病院を尋ねると安心だと思います
あと一つ大事な事を
髪が抜け始めたのは7月7日からでした
いきなりバサーっと抜ける訳ではありません
あら、髪をさわると抜けるなあ
枕に抜け毛が沢山ついてるなあ
これがスタートです
段々、手に絡まる抜け毛の量が増えて、部屋のあちこちに私の髪の毛が落ちるようになって、家のあちこちに私の髪が落ちるようになって
髪を洗うと大量の抜け毛にいつまでお湯を注いだらいいのかわからなくなります
メッシュのシャンプーハットのようなものが、病院の売店なんかで必ず売られていますので、歩いてもパラパラ髪が落ちるという頃にはこれを使うとお掃除が楽ちんです
寝る時にもかぶっていられますし、ぎゅっと詰めれば帽子にも入ります
何より、メッシュなので夏の暑い時期でもかぶっていられます
10枚500円くらいです
髪が抜ける事に、ショックはありませんでした
準備をしっかりして覚悟を決めていたのが良かったのか、元々ウイッグ慣れしていたからかはわかりません
お風呂のすのこに大量に絡まった髪を抜き取りながら「海苔職人」と、ほざくくらいの余裕はありましたし、すっかり髪が抜けきった後、お風呂に顔半分を沈めて身を切った渾身の一発芸「茹で蛸」を家族に披露したくてウズウズするくらいの余裕はありました
ですが、そんな私でもやっぱり言われたくない言葉はありました
一つは「ハゲ」
勿論、私に対してハゲと吐きかけた訳ではありませんよ
私も結構ネタにしますし、会話の中でぽろりと今の状態を表わす言葉として漏れたものです
ですが、抜ける事にショックはなくても抜けて嬉しい訳ではないからやめてくれと言いました
もう一つは「赤ちゃんみたいで可愛い」
全く悪気はないのはわかっています
今の状態を悪いものじゃないよと言ってくれようとしたのだと思います
でも「何で?」と言われると「嫌だから」としか言いようがありません
頭の形がいいから全部抜けても似合うと思う
と言われた時は平気でした
でも赤ちゃんみたいはど〜〜〜しても嫌だったんです
それも、言わないで欲しいとお願いしました
ホント、何がよくて駄目とか人によって違うと思いますし、相手も悪気はないので難しいな〜〜と思うのですが
何か気になる事があったら早い内に言った方がいいです
そこは我慢するとしんどいし、逆にカッとなって腹を立てる必要もありません
言えば皆やめてくれます
喧嘩するのも体に悪いです
最後に手足の痺れ
ちょっと表現しにくいのですが、手足にブツブツのついたゴムのぴっちりグローブをはめている感じ、です
手も足もちょっと鈍くなります
人によっては痛みを感じる事もあるそうです
足の感覚が鈍くなっている事が自分でもわからず、階段で足を滑らせ危うく転げ落ちそうになる事が何度かありました
いつも通り階段をおりているつもりが、足が階段からずれていたんです
足の裏の感覚が鈍くて、それに気付けませんでした
今はちゃんと階段を踏んでいるか、足元を見ておりるようにしています
手は、物を取り落としやすくなったのと、熱を感じるのが少し遅くなりました
なので、レンジでチンしたお皿を手に取って、いけると思って持ち上げて数秒後にいきなり熱くなって、「あっちゃっちゃ!!」と手を離してしまった事があります
もちろん、中身はぶちまけてしまいました……
それからはしっかりさわって、本当に熱くないのか確かめるようにしています
ちょっと気を付ければ、慣れてくれば何とかなってきます
酷くなる人はボタンを留められなくなったりする事もあるそうですが、ごく希な事だそうです
夏の間、お見舞いを沢山いただきました
近所に住んでいる伯父や叔母からは、毎日のようにスイカやパイナップル、林檎をいただきました
仕事で家を出ている弟からは、塩分控えめのお出汁やドレッシング、化学調味料不使用の調味料がどっさり
今でも定期的に、私が口に出来そうな林檎やジュースを送ってきてくれます
父の友人も、家の畑で作ったお野菜を持って来てくれます
農家をやっている従兄弟は無農薬のにんじんを定期的におくってきてくれます
芝居仲間からもおそうめんが届いたし
座長は気分転換したいなら、吐きけのない日に言ってくれたら車出すと言ってくれたし
外に出掛ける時は立部さんか北さんがついてきてくれたし
うっ、いけません
こういう事を書き出すときりがないです
ぶわーっと溢れてきます
すんません、ありがとう
話を戻して
体重も落ちて食欲も落ちて、フルーツや野菜ばかりもそもそと食べていましたが、何とか夏を乗り切る事ができました
低空飛行な生活でしたが、出来るだけやっていたのはお散歩です
走って転ぶと血小板や白血球が減っているので治りにくいし貧血ぎみになっているし、更に腰椎に癌があるので折れやすいから、運動は出来ないよ〜と先生に言われていました
でも、入院していた事もあって、足も腕もひょろんひょろんになっていたのです!
体重も小学生か!! という位落ちました
虫のような生活をしていたので仕方ありません
先生からは「歩いてください」と言われていました
なので毎日30分、暑くなってきた頃は夕方の涼しい時間を狙ってお散歩に出るようにしました
これが結構気持ち良かったです
小学校への道のりを久々に歩いてみると、昔からある風景と新しく変わった風景が混ざって、なんともいえない景色になります
懐かしいのにちょっと違う、微妙なマーブル模様
何にしろ、これは体に悪いこっちゃないなあと思いました
そして、今の好きなものを我が儘に吸収出来る環境に、ありがてえなあと思うのです
先生によると、夜の間にたまっていた血液が、朝一気に出て特に赤い尿が出たのでしょうとの事
なんかとんでもない事になったのかと思っていたので、かなりホッとしました
それから数日後には二回目の抗がん剤、また入院です
私は、毎日簡単なメモを残すようにしていたのですが、この頃書かれているのは「吐き気有り」「今日は吐き気無し」これがとにかく多いです
吐き気に怯えながら手探りで生活をしていました
「吐き気なし 胃もたれ有」
「吐き気はないけれど胃もたれ続く」
「朝からしっかり歩く 夕食後食べた物を吐く 水がざぱっと出た感じ」
「朝吐きけ止め 昼からは体調良 夜吐きけでご飯食べられず」
こんな感じです
もうパニック状態です
強い痛み止めで吐き気の副作用があるお薬も貰っていたので、抗がん剤による吐き気なのか薬の副作用なのかそれとも癌が悪化してしまったのかわからなくって
ぐるんぐるんしました
関節・筋肉痛がこれまた厄介で、骨に転移があるとその場所は結構痛むのですが、関節痛なのか骨が痛いのか自分ではわからないんです!
頬から頭にかけてとか、脛とか、太股、脹脛、腰、背中、胸筋も痛みます
ゴムのとんかちで殴ったみたいな痛みが、ずきー、ずきーと起こります
しかも日によって波があるので、「うわ〜今日は調子いいぞ〜! ひゃっほー!」からの「あかん……昨日はしゃぎすぎた…ホンマすんません…」の繰り返し
ハイとロウを繰り返すので、精神的にも参ってきます
左の鎖骨上にしこりも出来てしまい、これも私を不安にさせる要素でした
でも、メモを残していくと、少しずつですがわかってくる事があります
抗がん剤を打って次の日は体調が良い
三日目くらいから吐き気が出るので吐き気止めを飲んでおいた方がいい
とか
毎回同じところが痛くなるから、これは癌じゃなくて副作用
とか
それでもその流れを掴むまでに結構な時間がかかりましたし、特に夏の間は食欲が殆ど無くて何を食べるか毎日悩んでいました
両親も相当気を揉んだと思います
この頃はちょっとでも「うぷっ」となったら私より先に母が「吐く? 大丈夫?」と聞いてきたような感じです
味覚の変化も7月頭には始まってしまい、何を食べても変な味になってしまいました
忘れられないのがたこ焼きです
選挙の期日前投票に行った日だったので7月9日
投票に行った帰りに無性に食べたくなって、たこ焼きを買って家に帰ったら、ソースの味が全く違うんです
表現しにくいのですが、甘辛いの辛いを抜いて、甘みに合成調味料をふんだんに盛り込んだ味、とでも言いましょうか
全然美味しくない!
結局一個だけ食べて、しょんぼりしていました
味覚の変化は、きっちり歯を磨いて口内環境を良くすると、改善されると聞いています
食事のあとは欠かさず歯を磨くようにしていますが、マシになったような…
やらないよりかはやった方がいいかな、すっきりするし、という感じです
暑い間は主食がスイカだった気がします
それから林檎、バナナ、ゼリー
裏庭に主に父が手入れをしている小さな畑があるのですが、そこで出来たプチトマトとキュウリは朝の収穫後にいただいていました
立部さん曰く「虫のような食事」
否定はしない
いっそネタにする
次に、臭いも駄目になりました
私は野菜を煮る臭いやお出汁の臭い
炊きたてのお米の臭い
お魚などの煮物焼き物の臭い
この辺りが全部駄目になりました
嗅ぐと吐き気がして口に入れられない
そりゃ、食欲も落ちますよね
対処方としては、料理が冷めてから食べる
なのですが、それでも色々限界があるので、今かなり偏食家です
こればっかりは、本当に慣れませんでした
人によっては、お花の匂いとかタンスの防虫剤の臭いが駄目という話も聞きました
以前入院患者へのお見舞いでお花が駄目な場合があると書きましたが、これがそうなんですね
想像以上にやっかいです
食と言えばその頃、一冊の本を買ってきて読んでいました
癌になったら何を食べたら良いかという本だったのですが、食事療法というのはかなり効果があると言われているみたいなのですね
でも、本の通りにすると今まで食べていたものは何も食べられなくなるんです!
ブドウ糖(体内でブドウ糖に変わるものも含め)が駄目だというのは良く知られていると思うのですが
塩駄目 砂糖駄目 化学調味料駄目 農薬駄目 牛豚駄目 乳製品駄目(これは良いというお医者様もいます) 極めつけが、米駄目 小麦駄目
とにかく野菜!
無農薬野菜を目一杯食え!!
私……パスタ食べて生きてるんですけど……
代替え品として、お米の代わりに玄米
小麦粉の代わりに全粒粉
塩は岩塩 砂糖は黒砂糖やてんさい糖
と、ありました
外食は以ての外と
もちろん、それで癌が治っている方もいます
私も最初は出来るだけやってみようとしました
お菓子を絶って、果物食べました
玄米を食べてみました
ですが、抗がん剤で弱った体に玄米は……無理でした…
そもそも臭いで駄目でした
胃腸も弱っていたので生野菜も消化に悪く、みるみる体重が落ち……
諦めましたヽ(・∀・)ノ
玄米は体に合う合わないがあるそうですし、私にはこの方法は合わなかった
そう思って、自分で出来る範囲でだけ実行する事にしました
お菓子は食べます
時々ケーキなんかも食べます
食べ過ぎないようには気を付けます
自然食品のお店に行って、無農薬のさつまいもチップなんかも買って食べます
お米も玄米も食べにくいので、今よく食べているのはお餅です
消化に悪いという話もあるので良く噛んで……胃腸が弱っている時はお米を少しだけ食べるようにしています
お餅も糖になるので玄米の代わりになる訳ではないのですが、臭いも気にならずにパクパク食べられたので、今年の頭からずーっと食べています
お肉は出来るだけ鳥を食べています
元々焼き肉に禁断症状を覚える座長とは真逆なので、これは平気です
それから、人参ジュース
特に皮に含まれる成分が癌に有効なのだとか
従兄弟が人参を送ってきてくれているので、これもありがたく飲んでいます
食べたいな〜と思うものを食べて、食べにくいな〜と思うものは避けています
もうこれでいいかなって
勿論!!!
これがまんま参考になるとは言えません
自然食でしっかり癌を治した方からすれば、邪道以外のなにものでもないと思います
食事療法は私が合わず、我慢できなかっただけです
食事療法が気になる方は、ネットで検索すると沢山出てくると思います
その中で、自分が合いそうなものを探したり、指導をしてくれる病院を尋ねると安心だと思います
あと一つ大事な事を
髪が抜け始めたのは7月7日からでした
いきなりバサーっと抜ける訳ではありません
あら、髪をさわると抜けるなあ
枕に抜け毛が沢山ついてるなあ
これがスタートです
段々、手に絡まる抜け毛の量が増えて、部屋のあちこちに私の髪の毛が落ちるようになって、家のあちこちに私の髪が落ちるようになって
髪を洗うと大量の抜け毛にいつまでお湯を注いだらいいのかわからなくなります
メッシュのシャンプーハットのようなものが、病院の売店なんかで必ず売られていますので、歩いてもパラパラ髪が落ちるという頃にはこれを使うとお掃除が楽ちんです
寝る時にもかぶっていられますし、ぎゅっと詰めれば帽子にも入ります
何より、メッシュなので夏の暑い時期でもかぶっていられます
10枚500円くらいです
髪が抜ける事に、ショックはありませんでした
準備をしっかりして覚悟を決めていたのが良かったのか、元々ウイッグ慣れしていたからかはわかりません
お風呂のすのこに大量に絡まった髪を抜き取りながら「海苔職人」と、ほざくくらいの余裕はありましたし、すっかり髪が抜けきった後、お風呂に顔半分を沈めて身を切った渾身の一発芸「茹で蛸」を家族に披露したくてウズウズするくらいの余裕はありました
ですが、そんな私でもやっぱり言われたくない言葉はありました
一つは「ハゲ」
勿論、私に対してハゲと吐きかけた訳ではありませんよ
私も結構ネタにしますし、会話の中でぽろりと今の状態を表わす言葉として漏れたものです
ですが、抜ける事にショックはなくても抜けて嬉しい訳ではないからやめてくれと言いました
もう一つは「赤ちゃんみたいで可愛い」
全く悪気はないのはわかっています
今の状態を悪いものじゃないよと言ってくれようとしたのだと思います
でも「何で?」と言われると「嫌だから」としか言いようがありません
頭の形がいいから全部抜けても似合うと思う
と言われた時は平気でした
でも赤ちゃんみたいはど〜〜〜しても嫌だったんです
それも、言わないで欲しいとお願いしました
ホント、何がよくて駄目とか人によって違うと思いますし、相手も悪気はないので難しいな〜〜と思うのですが
何か気になる事があったら早い内に言った方がいいです
そこは我慢するとしんどいし、逆にカッとなって腹を立てる必要もありません
言えば皆やめてくれます
喧嘩するのも体に悪いです
最後に手足の痺れ
ちょっと表現しにくいのですが、手足にブツブツのついたゴムのぴっちりグローブをはめている感じ、です
手も足もちょっと鈍くなります
人によっては痛みを感じる事もあるそうです
足の感覚が鈍くなっている事が自分でもわからず、階段で足を滑らせ危うく転げ落ちそうになる事が何度かありました
いつも通り階段をおりているつもりが、足が階段からずれていたんです
足の裏の感覚が鈍くて、それに気付けませんでした
今はちゃんと階段を踏んでいるか、足元を見ておりるようにしています
手は、物を取り落としやすくなったのと、熱を感じるのが少し遅くなりました
なので、レンジでチンしたお皿を手に取って、いけると思って持ち上げて数秒後にいきなり熱くなって、「あっちゃっちゃ!!」と手を離してしまった事があります
もちろん、中身はぶちまけてしまいました……
それからはしっかりさわって、本当に熱くないのか確かめるようにしています
ちょっと気を付ければ、慣れてくれば何とかなってきます
酷くなる人はボタンを留められなくなったりする事もあるそうですが、ごく希な事だそうです
夏の間、お見舞いを沢山いただきました
近所に住んでいる伯父や叔母からは、毎日のようにスイカやパイナップル、林檎をいただきました
仕事で家を出ている弟からは、塩分控えめのお出汁やドレッシング、化学調味料不使用の調味料がどっさり
今でも定期的に、私が口に出来そうな林檎やジュースを送ってきてくれます
父の友人も、家の畑で作ったお野菜を持って来てくれます
農家をやっている従兄弟は無農薬のにんじんを定期的におくってきてくれます
芝居仲間からもおそうめんが届いたし
座長は気分転換したいなら、吐きけのない日に言ってくれたら車出すと言ってくれたし
外に出掛ける時は立部さんか北さんがついてきてくれたし
うっ、いけません
こういう事を書き出すときりがないです
ぶわーっと溢れてきます
すんません、ありがとう
話を戻して
体重も落ちて食欲も落ちて、フルーツや野菜ばかりもそもそと食べていましたが、何とか夏を乗り切る事ができました
低空飛行な生活でしたが、出来るだけやっていたのはお散歩です
走って転ぶと血小板や白血球が減っているので治りにくいし貧血ぎみになっているし、更に腰椎に癌があるので折れやすいから、運動は出来ないよ〜と先生に言われていました
でも、入院していた事もあって、足も腕もひょろんひょろんになっていたのです!
体重も小学生か!! という位落ちました
虫のような生活をしていたので仕方ありません
先生からは「歩いてください」と言われていました
なので毎日30分、暑くなってきた頃は夕方の涼しい時間を狙ってお散歩に出るようにしました
これが結構気持ち良かったです
小学校への道のりを久々に歩いてみると、昔からある風景と新しく変わった風景が混ざって、なんともいえない景色になります
懐かしいのにちょっと違う、微妙なマーブル模様
何にしろ、これは体に悪いこっちゃないなあと思いました
そして、今の好きなものを我が儘に吸収出来る環境に、ありがてえなあと思うのです
posted by masako at 19:29| Comment(0)
| 芝居以外の日常
2017年02月16日
健忘録 抗がん剤編@
抗がん剤編です
病理検査の結果が出たのは6月21日でした
卵巣癌 ステージWが確定
これから抗がん剤が始まりますよ、というお話でした
慣れない内は入院して、様子を見ながら点滴を行なうとの事
抗がん剤を打つペースは一週間に一度、血液検査で白血球の減り方を見て打てるかどうかの判断をするという事でした
初めての抗がん剤は6月24日
前日の23日から入院をして、血液検査などをするという事でした
実は、夏にお芝居をする予定がありました
自劇団ではなく他劇団でのお芝居だったのですが、前年からもうお話をいただいていて私も出ますとお伝えしていました
そのお芝居に出るかどうか、その選択を迫られていた時期でした
先方さんは、ぎりぎりまで出れるかどうか待ちますと言ってくれていました
ダブルキャストにしてもいいとも言ってくれました
でも、チラシを作る時には名前を入れる必要があります
じゃあ出ますと言ってチラシに名前も載ってチケットを売って、本番体調を崩して出られませんでは本当にどうしようもありません
稽古に出るにも真夏の暑い中、電車に乗って稽古をして帰る、これがまともに出来る保証はありません
期限は迫ってきます
でも、いけるかどうかは本当にわからなかったんです
結局、そのお芝居は辞退する事になりました
まだチラシは出ていないとは言え、出ると言った芝居に出ないという経験はこれが初めてでした
悔しかったです
物凄く悔しかった
早く治さないとと思いながら、お芝居の事は一旦忘れて治療に専念するよう頭を切り換える事にしました
入院の前日、21日の深夜、急にお腹が痛くなりました
ちょっと経験した事がないような物凄い腹痛です
一晩中冷や汗をかいてのたうち回って、やっと落ち着いて寝たのは明け方でした
目が覚めると今度は吐き気が凄い
予測性の吐き気というものがあるみたいで、特に私は自律神経失調症も持っているのでそのせいだったのかなと、今では思っています
実際のところはわかりません
その日は暫く起き上がる事が出来ず、明日の入院を心配するほどでした
何とか夜には食事がとれるようになり、伸ばしていた髪を姉に切って貰いました
髪が抜け始めるにはまだまだ早かったのですが、抜ける前にある程度切っておいた方がいいと、何かで見たのです
抜ける時にショックが大きいし、量も多くなるので大変だからと
髪をショートに切って、入院の準備を済まして、その日は寝ました
多分、普通に眠れたと思います
次の日、恐れていた吐き気は起こらず、ちゃんと入院が出来ました
馴染みの看護師さんから、髪を切ったの? 勿体無い! と言われました
ちょっと気が早かったかと思いましたが、姉に切って貰った髪型は好評でした
ケア担当の看護師さんからは、「丁度良い髪の長さ。特に男の人なんかは思い切って丸坊主にしちゃう人がいるけど、実はそれをすると短い毛が抜けて枕に刺さってしまい、チクチクして大変な事になる」と言われました
なるほど納得
6月24日
初めての抗がん剤です
初めてですから、何があってもいいように心拍計や酸素計をつけて、万全の状態で挑みます
超時間の点滴になるので、針は肘の内側ではなく手の甲の10センチ下辺りにするという事でした
元々注射は苦手だったのですが、血液検査や皮下注で結構慣らされてきています
それでも、針を刺すのは痛かったです
今でも苦手です
お昼過ぎに点滴スタート
アルコールが苦手なので、ゆっくり点滴を落とすので、時間はかなりかかります
飲み物や読み物をサイドテーブルに準備しておきました
ところがどっこい、吐き気止めには眠くなる作用があったので、本なんか読んでいる隙はありません
完全に寝落ちてしまいました
抗がん剤治療中、ほとんどが睡眠時間です
どれくらい眠っていたかわかりませんが、ふと目を覚ますと、体がぽかぽかしています
というか暑いのです
汗をだらだらかいています
アルコールの薬のせいだ
そう思いました
トイレに行きたくなって体を起こそうとすると、物凄い目眩と吐き気
泥酔状態です
すぐにナースコールをして吐きそうですと必死で訴え、何と呼ぶのかはわかりませんがプラスチックの入れ物を持って来て貰いました
そこからはもう記憶も飛び飛びなのですが、結局全く立つ事が出来ず、最後は尿の管を入れて貰う事になりました
それがまた! うまく入らなかったのか激痛が!!
まだ見習いの看護師さんだったのか、あれ? 入らないあれ? という感じです
隣で先輩看護師さんがああだこうだと言って、最後はそっちの看護師さんが入れてくれましたが涙が出る程痛い
そこからまた落ちるように眠って、「山本さん、針を抜きますよ」と言われたのは夜の10時
お昼に点滴を初めて10時
もう消灯していて部屋も暗くなっています
私は顔だけ洗って、また眠りにつきました
次の日
6月25日
忘れもしません主治医の先生が「どう? 結構大した事はなかったでしょ?」と言ったのです
いやいやいやあるよ!!!
全然あるよ!!!!
そんなこんなで怒濤の抗がん剤が終わり、吐き気止めや痛み止めを貰って退院となりました
抗がん剤を打って三日間は、朝昼とちょっと強めの吐き気止めを飲みます
遅れてくる吐き気があるので飲まなければならないのですが、「デカドロン」という強そうな名前のお薬です
6月26日
フラフラはしますがひどい吐き気はありません
気分転換に姉と猫カフェに行きました
久々に電車に乗りました
夜、尿に血が混じっていました
尿の管を入れた時痛かった場所が、痛みます
これ、傷ついてるんじゃ…と思いながら就寝
27日
朝から起き上がれない程の吐き気
頭を起こすと目が回る
立ち上がれない!!
それでも何とか着替えてトイレに行くと、尿が赤い
昨日より明らか血の量が多い
二階の自室に戻れず、一階の母の布団をひっぱりだして倒れる
そこから動けなくなる
林檎を貰って食べたりしましたが、もうどうにもこうにもなりません
それから、全身が割れそうに痛みます
骨が外れてるんじゃないかと思う程の痛いが、ずきずきずきずき場所変え痛みの強さを変え襲ってきます
たまらん
父が病院に電話をしてくれて、吐き気止めなんかを取りに行けたらと伝えたのですが、出来たら本人が来た方がいいとの事
どうする、行けるか? と父
頭を起こすのも辛い状態でしたが、行かねばならぬなら行くしかあるまい
行きますと答えました
父は今ずっと家にいますし、パートに出ている母もこの日はたまたま休みだったので、大慌てで支度をして私も這いずるように玄関まで行って、車の後部座席に倒れました
移動中、横になっていたら話も出来たし笑う事も出来ましたが、病院についたら体を起こさないといけません
車いすを借りての移動も、最初はこれでいける大丈夫と言っていたのですが、途中で「もう駄目だ横になりたい」という状態に
看護師さんにそれを伝えると、胸ポケットから電話を取りだし「診察室一つあけて。いいから開けて」と若干……かなり強引に私が横になる場所を確保してくださいました
ありがたい…
そこから、血液検査と尿検査があり、横になった状態で待機
点滴を打つ事になりましたが、何故か針が刺さらない
何度やっても刺さらない
看護師さんが「水分摂ってますか?」
そう言えば、頭も起こせなかったので朝から殆ど水を飲んでいません
軽い脱水状態にもなっていたようです
お水を買ってきてもらって、それをゴクゴク飲んで、ようやく点滴の針が刺さりました
血液・尿検査ともに特別な異常はなし
デカドロンとは別の吐き気止めを貰い、また車いすに乗って移動をして会計を済ませて、帰宅
夜にはご飯も食べられるようになりましたが、怒濤の一日でした
せっかくの休みだった母には悪かったなあと思ったのですが、それを伝えるとむしろ休みで良かったと言われました
もし仕事が入っていたら、休みを取らなきゃいけないところだと
ありがたいなあ
父は「治療費の事は心配しなくていいからね」と言ってくれました
やっぱり、嬉しかったです
母は私が病気で起こる色んなトラブルを「いいよいいよ、仕方ない」と言って笑ってくれます
ありがたい
親戚のおばちゃん達も、心配して物凄く声をかけてくれます
芝居仲間は応援してくれています
友達も心配してくれます
お仕事も休んでいますが、戻ってこれるように席をあけてくれています
もうどんだけ何をしたって返せない恩です
すんません、ありがとう
どうしたらいいだろう、私
頭をどうひねくっても丁度良い言葉が出て来なくなってしまったので、ここまで
病理検査の結果が出たのは6月21日でした
卵巣癌 ステージWが確定
これから抗がん剤が始まりますよ、というお話でした
慣れない内は入院して、様子を見ながら点滴を行なうとの事
抗がん剤を打つペースは一週間に一度、血液検査で白血球の減り方を見て打てるかどうかの判断をするという事でした
初めての抗がん剤は6月24日
前日の23日から入院をして、血液検査などをするという事でした
実は、夏にお芝居をする予定がありました
自劇団ではなく他劇団でのお芝居だったのですが、前年からもうお話をいただいていて私も出ますとお伝えしていました
そのお芝居に出るかどうか、その選択を迫られていた時期でした
先方さんは、ぎりぎりまで出れるかどうか待ちますと言ってくれていました
ダブルキャストにしてもいいとも言ってくれました
でも、チラシを作る時には名前を入れる必要があります
じゃあ出ますと言ってチラシに名前も載ってチケットを売って、本番体調を崩して出られませんでは本当にどうしようもありません
稽古に出るにも真夏の暑い中、電車に乗って稽古をして帰る、これがまともに出来る保証はありません
期限は迫ってきます
でも、いけるかどうかは本当にわからなかったんです
結局、そのお芝居は辞退する事になりました
まだチラシは出ていないとは言え、出ると言った芝居に出ないという経験はこれが初めてでした
悔しかったです
物凄く悔しかった
早く治さないとと思いながら、お芝居の事は一旦忘れて治療に専念するよう頭を切り換える事にしました
入院の前日、21日の深夜、急にお腹が痛くなりました
ちょっと経験した事がないような物凄い腹痛です
一晩中冷や汗をかいてのたうち回って、やっと落ち着いて寝たのは明け方でした
目が覚めると今度は吐き気が凄い
予測性の吐き気というものがあるみたいで、特に私は自律神経失調症も持っているのでそのせいだったのかなと、今では思っています
実際のところはわかりません
その日は暫く起き上がる事が出来ず、明日の入院を心配するほどでした
何とか夜には食事がとれるようになり、伸ばしていた髪を姉に切って貰いました
髪が抜け始めるにはまだまだ早かったのですが、抜ける前にある程度切っておいた方がいいと、何かで見たのです
抜ける時にショックが大きいし、量も多くなるので大変だからと
髪をショートに切って、入院の準備を済まして、その日は寝ました
多分、普通に眠れたと思います
次の日、恐れていた吐き気は起こらず、ちゃんと入院が出来ました
馴染みの看護師さんから、髪を切ったの? 勿体無い! と言われました
ちょっと気が早かったかと思いましたが、姉に切って貰った髪型は好評でした
ケア担当の看護師さんからは、「丁度良い髪の長さ。特に男の人なんかは思い切って丸坊主にしちゃう人がいるけど、実はそれをすると短い毛が抜けて枕に刺さってしまい、チクチクして大変な事になる」と言われました
なるほど納得
6月24日
初めての抗がん剤です
初めてですから、何があってもいいように心拍計や酸素計をつけて、万全の状態で挑みます
超時間の点滴になるので、針は肘の内側ではなく手の甲の10センチ下辺りにするという事でした
元々注射は苦手だったのですが、血液検査や皮下注で結構慣らされてきています
それでも、針を刺すのは痛かったです
今でも苦手です
お昼過ぎに点滴スタート
アルコールが苦手なので、ゆっくり点滴を落とすので、時間はかなりかかります
飲み物や読み物をサイドテーブルに準備しておきました
ところがどっこい、吐き気止めには眠くなる作用があったので、本なんか読んでいる隙はありません
完全に寝落ちてしまいました
抗がん剤治療中、ほとんどが睡眠時間です
どれくらい眠っていたかわかりませんが、ふと目を覚ますと、体がぽかぽかしています
というか暑いのです
汗をだらだらかいています
アルコールの薬のせいだ
そう思いました
トイレに行きたくなって体を起こそうとすると、物凄い目眩と吐き気
泥酔状態です
すぐにナースコールをして吐きそうですと必死で訴え、何と呼ぶのかはわかりませんがプラスチックの入れ物を持って来て貰いました
そこからはもう記憶も飛び飛びなのですが、結局全く立つ事が出来ず、最後は尿の管を入れて貰う事になりました
それがまた! うまく入らなかったのか激痛が!!
まだ見習いの看護師さんだったのか、あれ? 入らないあれ? という感じです
隣で先輩看護師さんがああだこうだと言って、最後はそっちの看護師さんが入れてくれましたが涙が出る程痛い
そこからまた落ちるように眠って、「山本さん、針を抜きますよ」と言われたのは夜の10時
お昼に点滴を初めて10時
もう消灯していて部屋も暗くなっています
私は顔だけ洗って、また眠りにつきました
次の日
6月25日
忘れもしません主治医の先生が「どう? 結構大した事はなかったでしょ?」と言ったのです
いやいやいやあるよ!!!
全然あるよ!!!!
そんなこんなで怒濤の抗がん剤が終わり、吐き気止めや痛み止めを貰って退院となりました
抗がん剤を打って三日間は、朝昼とちょっと強めの吐き気止めを飲みます
遅れてくる吐き気があるので飲まなければならないのですが、「デカドロン」という強そうな名前のお薬です
6月26日
フラフラはしますがひどい吐き気はありません
気分転換に姉と猫カフェに行きました
久々に電車に乗りました
夜、尿に血が混じっていました
尿の管を入れた時痛かった場所が、痛みます
これ、傷ついてるんじゃ…と思いながら就寝
27日
朝から起き上がれない程の吐き気
頭を起こすと目が回る
立ち上がれない!!
それでも何とか着替えてトイレに行くと、尿が赤い
昨日より明らか血の量が多い
二階の自室に戻れず、一階の母の布団をひっぱりだして倒れる
そこから動けなくなる
林檎を貰って食べたりしましたが、もうどうにもこうにもなりません
それから、全身が割れそうに痛みます
骨が外れてるんじゃないかと思う程の痛いが、ずきずきずきずき場所変え痛みの強さを変え襲ってきます
たまらん
父が病院に電話をしてくれて、吐き気止めなんかを取りに行けたらと伝えたのですが、出来たら本人が来た方がいいとの事
どうする、行けるか? と父
頭を起こすのも辛い状態でしたが、行かねばならぬなら行くしかあるまい
行きますと答えました
父は今ずっと家にいますし、パートに出ている母もこの日はたまたま休みだったので、大慌てで支度をして私も這いずるように玄関まで行って、車の後部座席に倒れました
移動中、横になっていたら話も出来たし笑う事も出来ましたが、病院についたら体を起こさないといけません
車いすを借りての移動も、最初はこれでいける大丈夫と言っていたのですが、途中で「もう駄目だ横になりたい」という状態に
看護師さんにそれを伝えると、胸ポケットから電話を取りだし「診察室一つあけて。いいから開けて」と若干……かなり強引に私が横になる場所を確保してくださいました
ありがたい…
そこから、血液検査と尿検査があり、横になった状態で待機
点滴を打つ事になりましたが、何故か針が刺さらない
何度やっても刺さらない
看護師さんが「水分摂ってますか?」
そう言えば、頭も起こせなかったので朝から殆ど水を飲んでいません
軽い脱水状態にもなっていたようです
お水を買ってきてもらって、それをゴクゴク飲んで、ようやく点滴の針が刺さりました
血液・尿検査ともに特別な異常はなし
デカドロンとは別の吐き気止めを貰い、また車いすに乗って移動をして会計を済ませて、帰宅
夜にはご飯も食べられるようになりましたが、怒濤の一日でした
せっかくの休みだった母には悪かったなあと思ったのですが、それを伝えるとむしろ休みで良かったと言われました
もし仕事が入っていたら、休みを取らなきゃいけないところだと
ありがたいなあ
父は「治療費の事は心配しなくていいからね」と言ってくれました
やっぱり、嬉しかったです
母は私が病気で起こる色んなトラブルを「いいよいいよ、仕方ない」と言って笑ってくれます
ありがたい
親戚のおばちゃん達も、心配して物凄く声をかけてくれます
芝居仲間は応援してくれています
友達も心配してくれます
お仕事も休んでいますが、戻ってこれるように席をあけてくれています
もうどんだけ何をしたって返せない恩です
すんません、ありがとう
どうしたらいいだろう、私
頭をどうひねくっても丁度良い言葉が出て来なくなってしまったので、ここまで
タグ:抗がん剤
posted by masako at 15:15| Comment(0)
| 芝居以外の日常
健忘録 抗がん剤準備編 〜ウイッグとは〜
色々脱線しましたが、やっとこ自分の話に戻ります
これからは、実際抗がん剤を打って私がどうだったかというお話です
なので、結構大変だったんわ〜!! という吐き出しになります
ですが、今回はウイッグについてお話しようかと思います
退院して家に戻ると、私の部屋にベッドが置いてありました
聞かされていなかったのですが、父がその方が寝たり起きたりがしやすかろうと、リクライニング出来るものを購入してくれていたのでした!
び、びっくりした!!
更に、家の中でも歩けるようにとウオーキングマシーンまで!
これが今後、物凄く助けになったりします
ありがてえありがてえ
退院したのが6月14日
次の診察…手術で取り出した左の卵巣の病理結果が出るのが6月21日
この間、私は抗がん剤の副作用について調べ倒しました
気になったのはやっぱり、脱毛とその対処方
病院からもパンフレットを貰いましたし、まず手に入れるべきはウイッグであろうと、私は医療用ウイッグを調べました
これがまた、高い!!!!
スキンといった人工頭皮がついているもので、いいものだと10万円以上するのです
安いものでも3万だとか
ただ、一つは安物よりもしっかりしたものがあった方が、外出する時に気持ちが楽だという話もあり、それでも…と思った時に出会ったのがこちらです
http://ilovewig.jp/lineawig
何だかアフェリエイト的な感じですが、このブログはアフェリエイト一切入れてません!
病院からもらったパンフレットの中で、一番平均価格が安かったので見てみたのですが、直接お店に行って、試着をして買う事が出来るそうなのです
完全予約制で、付き添いもOK
これは嬉しい
父に車を出して貰って、母と、丁度お仕事が休みだった立部さんを連れて大阪のショップへ
散々試着させて貰って、一万円位のウイッグを購入しました
人毛の高いウイッグも試着させてもらったのですが、頭の大きさや元々の髪のボリューム、髪のツヤを考えても選んだウイッグが一番自然だったからです
こんな感じです
……普段自撮りしないので写真があまりない事に気付きました
一番手前が私
劇団での作業中の写真です
真ん中が噂の立部さん
奥が北くん
お芝居後の写真です
み……左が私です
右は劇団黒豚農場の小林浩司さん
人柄にじみでる役者さんです
もうちょっとアップで写っているものも
左が私、右はお芝居仲間のあずにゃん
元気いっぱい、可愛いぜあずにゃん
かつらって、わかりますか?
わからないと思います
頭頂部はこうなっています
ちゃんとつむじがあります
気を付けるのは、自前の髪ではないので、風が吹いたり帽子をかぶってくしゃっとなってしまった時は、しっかり手櫛でなおしてあげないと跳ねたまんまになってしまう事でしょうか
時々鏡を見てチェックするといいと思います
もう少しウイッグの話をすると、私は舞台でウイッグを使う事が結構ありましたので、ウイッグを被るという事に抵抗があまりありません
早めにウイッグは用意して被り慣れておくと「ああ、こんなものか」と安心出来ると思います
実際このウイッグ、地毛じゃないと気付いた人はごく僅かです
それも演劇関係者で、髪のツヤがちょっと違う? という勘付き方です
ホントばれません
自分から「実はこれカツラなのよ」と言って、相手が「ああそうなの!」となる感じです
抗がん剤を使ってると知ってる人はもしかして〜〜? と思うそうなのですが、やっぱり言われなきゃわからなかったという意見が殆どでした
それから、帽子をかぶってしまえばつむじなんか関係ありません
それこそネットを検索すれば、3000円そこらで普通にウイッグが手に入ります
充分です
ちょっとそこらにお出かけする時はお安い普段用のウイッグを使い、人に会う時は勝負ウイッグを使う
こんな使い分けをしています
あと、慣れないうちはショートヘアーが楽です
ロングは絡まりやすいですし、自然に見せるのがショートより難しくなるので、ショートで慣れてもうちょっと違う髪型も試してみたいな〜という時に試着をしっかりするか、失敗してもいい覚悟でお安いウイッグから試されるといいかと思います
話を戻します
前髪もカットしてもらい、これで準備は万端
いつでも抜けろ!! という気分でした
やっぱり、準備をしておくと気持ちの余裕が全然ちがいます
まだ抜けるのは何週間も後だと思っていても、安心感があります
脱毛ですが、頭髪だけでなく眉やまつげも抜けます
そう、全身の毛という毛が抜けます
腕も足もつるんつるんになります
元々眉は剛毛で、抜いたり切ったりする事はあっても書く事なんかなかったのですが、アイブローを初めて買いました
睫も抜けるので100均でつけまつげも買ったのですが、これはまだ使っていません
めんどくさいアイライナーで充分だと感じたからです
ウイッグを使うようになってからは、どこにウイッグを置いておくかで最初ちょっと悩みました
結果、こうなりました
ウイッグ立てというものが、200〜300円で売っています
ネットでも買えます
らくちんです
ウイッグについてはそろそろネタが尽きたので、この辺りで
……今回のお話、身内しか見なかった場合知り合いに自分の頭髪の事を暴露するのみに終ってしまいますので、出来れば切実に、この情報を欲している人に届きますように
これからは、実際抗がん剤を打って私がどうだったかというお話です
なので、結構大変だったんわ〜!! という吐き出しになります
ですが、今回はウイッグについてお話しようかと思います
退院して家に戻ると、私の部屋にベッドが置いてありました
聞かされていなかったのですが、父がその方が寝たり起きたりがしやすかろうと、リクライニング出来るものを購入してくれていたのでした!
び、びっくりした!!
更に、家の中でも歩けるようにとウオーキングマシーンまで!
これが今後、物凄く助けになったりします
ありがてえありがてえ
退院したのが6月14日
次の診察…手術で取り出した左の卵巣の病理結果が出るのが6月21日
この間、私は抗がん剤の副作用について調べ倒しました
気になったのはやっぱり、脱毛とその対処方
病院からもパンフレットを貰いましたし、まず手に入れるべきはウイッグであろうと、私は医療用ウイッグを調べました
これがまた、高い!!!!
スキンといった人工頭皮がついているもので、いいものだと10万円以上するのです
安いものでも3万だとか
ただ、一つは安物よりもしっかりしたものがあった方が、外出する時に気持ちが楽だという話もあり、それでも…と思った時に出会ったのがこちらです
http://ilovewig.jp/lineawig
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病院からもらったパンフレットの中で、一番平均価格が安かったので見てみたのですが、直接お店に行って、試着をして買う事が出来るそうなのです
完全予約制で、付き添いもOK
これは嬉しい
父に車を出して貰って、母と、丁度お仕事が休みだった立部さんを連れて大阪のショップへ
散々試着させて貰って、一万円位のウイッグを購入しました
人毛の高いウイッグも試着させてもらったのですが、頭の大きさや元々の髪のボリューム、髪のツヤを考えても選んだウイッグが一番自然だったからです
こんな感じです
……普段自撮りしないので写真があまりない事に気付きました
一番手前が私
劇団での作業中の写真です
真ん中が噂の立部さん
奥が北くん
お芝居後の写真です
み……左が私です
右は劇団黒豚農場の小林浩司さん
人柄にじみでる役者さんです
もうちょっとアップで写っているものも
左が私、右はお芝居仲間のあずにゃん
元気いっぱい、可愛いぜあずにゃん
かつらって、わかりますか?
わからないと思います
頭頂部はこうなっています
ちゃんとつむじがあります
気を付けるのは、自前の髪ではないので、風が吹いたり帽子をかぶってくしゃっとなってしまった時は、しっかり手櫛でなおしてあげないと跳ねたまんまになってしまう事でしょうか
時々鏡を見てチェックするといいと思います
もう少しウイッグの話をすると、私は舞台でウイッグを使う事が結構ありましたので、ウイッグを被るという事に抵抗があまりありません
早めにウイッグは用意して被り慣れておくと「ああ、こんなものか」と安心出来ると思います
実際このウイッグ、地毛じゃないと気付いた人はごく僅かです
それも演劇関係者で、髪のツヤがちょっと違う? という勘付き方です
ホントばれません
自分から「実はこれカツラなのよ」と言って、相手が「ああそうなの!」となる感じです
抗がん剤を使ってると知ってる人はもしかして〜〜? と思うそうなのですが、やっぱり言われなきゃわからなかったという意見が殆どでした
それから、帽子をかぶってしまえばつむじなんか関係ありません
それこそネットを検索すれば、3000円そこらで普通にウイッグが手に入ります
充分です
ちょっとそこらにお出かけする時はお安い普段用のウイッグを使い、人に会う時は勝負ウイッグを使う
こんな使い分けをしています
あと、慣れないうちはショートヘアーが楽です
ロングは絡まりやすいですし、自然に見せるのがショートより難しくなるので、ショートで慣れてもうちょっと違う髪型も試してみたいな〜という時に試着をしっかりするか、失敗してもいい覚悟でお安いウイッグから試されるといいかと思います
話を戻します
前髪もカットしてもらい、これで準備は万端
いつでも抜けろ!! という気分でした
やっぱり、準備をしておくと気持ちの余裕が全然ちがいます
まだ抜けるのは何週間も後だと思っていても、安心感があります
脱毛ですが、頭髪だけでなく眉やまつげも抜けます
そう、全身の毛という毛が抜けます
腕も足もつるんつるんになります
元々眉は剛毛で、抜いたり切ったりする事はあっても書く事なんかなかったのですが、アイブローを初めて買いました
睫も抜けるので100均でつけまつげも買ったのですが、これはまだ使っていません
ウイッグを使うようになってからは、どこにウイッグを置いておくかで最初ちょっと悩みました
結果、こうなりました
ウイッグ立てというものが、200〜300円で売っています
ネットでも買えます
らくちんです
ウイッグについてはそろそろネタが尽きたので、この辺りで
……今回のお話、身内しか見なかった場合知り合いに自分の頭髪の事を暴露するのみに終ってしまいますので、出来れば切実に、この情報を欲している人に届きますように
posted by masako at 13:41| Comment(0)
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